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松永天馬は、ことばの既成表現を打ち破ることを念頭に置きながら、聞き手に声を届けるという、いわゆる受身的な表現者ではなく、自らの声によって聞き手を創り出すという創造者といっても過言ではない選手です。 彼の「詩のボクシング」のリングでの久し振りの自作朗読が楽しみです。 ------------------------------------------------------------------------------------- 「詩のボクシング」に積極的に参加していたのは今から十年ほど前のことだ。当時まだ学生だった僕は、言葉を用いた自身の表現を模索するなかで「詩のボクシング」という手段を発見した。 劇団をやってみたものの、パッとしなかった。応募した文学賞は、ことごとく一次審査で振い落された。しかし「詩のボクシング」でチャンピオンの称号を得られたことが、僕にとって自信となったのは確かなようだ。 現在僕はバンドのようなものを組んで活動している。「のようなもの」とわざわざ書くのは、このグループが音楽のみならず、カルチャーやファッション、何より「詩」に根ざしていると認識しているからだ。 バンドのライヴで、僕は自作の詩を朗読する。また曲中ではラップともまた異なる、アジテーションのような言葉の一斉放射を繰り返す。今の自分の表現が、「詩のボクシング」によって培われたものであることは言うまでもないだろう。 「詩のボクシング」は、肉体だけでも精神だけでもない。言葉が肉体を通過し声となる過程を、発語それ自体を見せるものだ。僕にとって最も肌にあった言語表現は、恐らく紙に文字を綴るだけでなく、それを受肉させ、自分の言葉で語るまでの流れにあったのだろう。 いつだって、書かれたもの、頭に浮かんだものが発語されるぎりぎりの緊張感が好きだ。舌が擦過して喉を震わせるとき、口蓋に小さな火花が散るのが。そこに天使が宿るのが。 松永天馬(ミュージシャン) -------------------------------------------------------------------------------------
by poetryboxing
| 2014-03-21 20:00
| 選抜式・全国大会出場者の思い
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