2015年タイトルマッチと選抜式「詩のボクシング」全国大会に向けて
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過去のブログから:2013.8.12.現代詩の閉塞状況、そして同質の者の集まる集団について。そして今年の岐阜大会では


今や「詩のボクシング」と現代詩は出発点は同じ詩=ポエジーではあるが表現メディアとしてはまったく無縁であるのに、詩という言葉あるがために関係づけて語る人がいます。そこには声の言葉によって新たな詩を発見する場である「詩のボクシング」が積み重ねてきた実験ともいえる歴史を踏まえないで勘違いをしているところがあるようです。

ところで、わたしが現代詩状況に失望し始めたのは、詩が知識によって書かれるようになったことと知識によってのみの詩批評しか成り立たなくなったところに原因があります。その結果として、批評性もなく互いを褒め合うなれ合いが内省もなく行われようになりました。そういったこともありますが、実のところは世間的評価を気にするがゆえに保守的になり過ぎて面白みがなくなったことに失望したといった方がよいかもしれません。それよりも、たとえ孤立無援であったとしても、どのような批判を浴びるとしても詩を外へと連れ出し、新たな世界を発見する実験をメディア(詩は文字として紙に留まっているものでは決してありません。その大本は声としてあったのですですから)を変えてでも継続的に行わなくてはならないとわたしは考えています。

好みによるといわれればそれまでかもしれませんが、わたしは詩が言葉の先端を行くとすれば、それは尖っていなくてはならないと思います。その尖ったするどい言葉が、自分の心が得体の知れないものに包み込まれ、それがやがて圧力を増して息苦しさを感じさせるようになる、その得体の知れない息苦しさを突き破り、至福をもたらしてくれるもの、そういった力を持ったものが詩ではないかと思っているからです

吉本隆明さんが、「悪人正機」(話し手:吉本隆明、聞き手:糸井重里)の中で言っていることに同意できることが多々あります。

「僕があんまり詩を書かなくなっちゃったことを正当化する理由があってね。詩の世界って、たくさん賞があるんです。もういろいろあってさ。で、他のジャンルではそんなことはなにんだろうけど、選者が自分たちでもらっちゃうんだよ。かわりばんこみたいにして。賞をあげたら、この人には励みになるっていう人にはやらねえで、てめえたちが勝手にもらっちゃう。そんな貧しさが、イヤになった理由のひとつなんです」

この指摘にも現代詩の身内主義的な閉塞感が表れています。

続けて吉本さんは、

「あと、やっぱり、銭をとれないってことが悪い意味で作用していますね。たとえ銭を取れなくてもいいものを書くっていうならいいけどさ。それがいい加減なものを書くことにつながっちゃうのが、もうひとつの理由ですね」

と言っています。この「いい加減なものを書くことにつながっちゃう」ことにも現代詩の閉塞感を生み出している大きな原因があると思います。

実は、吉本さんが言っていることと同じようなことを拙著「詩のボクシング 声の力」(1999年刊)に書いています。

ちなみに、「詩のボクシング」の出発点では、身内主義的な閉塞感を打破するためにいろいろな人が参加できる風通しのよい場を作ることに主眼を置きました。つまり、同じ人が集まるだけの場にしたくはないということです。

ですから、「詩のボクシング」の地方大会での募集で同じ人しか応募参加しなくなった時、それは仲間だけで楽しむカラオケ状態になってしまいかねないことでもあるので、「そうなれば『詩のボクシング』を止める」と公言もしています。(ちなみに2015年9月12日にバロー文化ホールで行われた岐阜大会では3分の2以上が初めての応募者でした。今のところまだ大丈夫です。

吉本さんも、「同質の者が集まって作る世界は傷つくこともなく快適ですが、先が閉じています。発展して行く余地がないのです。いくら立派な理由があって作った集団でも、始末におえないものになってしまう恐れがあります」と言っていますが、わたしもその通りだと思います。




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by poetryboxing | 2015-10-12 09:00 | 「詩のボクシング」関係

岐阜大会出場者募集が締め切られました!9月12日は岐阜大会開催です!


9月9日に岐阜大会出場者の募集が締切られました。

岐阜での大会にもかかわらず県外から多数応募していただいています。

呉三津田高校(広島県)での大会の今年のチャンピオン、準チャンピオンと御殿場西高校(静岡県)での今年の大会のチャンピオン、準チャンピオンも応募しています。「詩のボクシング」に取り組む伝統校からの参加です。これは大いに期待できます。

また、他に過去の地方大会チャンピオンが4人も応募してくれています。

レベルの高い予選会、そしてその後に行われる岐阜大会が楽しみです。


岐阜大会は、14:45からになります。13:15開始のワークショップから観覧していただくこともできます。

c0191992_62844.gifバロー文化ホール・「詩のボクシング」岐阜大会!
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by poetryboxing | 2015-09-10 11:00 | 「詩のボクシング」関係

9月12日(土)の岐阜大会募集中!



画像をクリックすると拡大されます。
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c0191992_62844.gifバロー文化ホール・「詩のボクシング」岐阜大会・出場者募集!
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by poetryboxing | 2015-06-28 12:00 | 「詩のボクシング」関係

10年以上の歴史を持つ高校での「詩のボクシング」への取り組み



静岡県の御殿場西高校と広島県の呉三津田高校は、10年以上も全校で「詩のボクシング」に取り組んでくれています。

「詩のボクシング」・日本朗読ボクシング協会公認スケジュール(2004年10月24日以降)には、両校の名前があります。10年前は毎週末にどこかで大会が行われていました。

c0191992_62844.gif「詩のボクシング」・協会公認スケジュール(2004年10月24日~2005年12月18日)

そして、今年も6月19日には呉三津田高校で、6月26日には御殿場西高校で「詩のボクシング」大会が行われます。

呉三津田高校では、今年のチャンピオンと準チャンピオンを9月12日の岐阜大会に出場させると聞いています。

また、御殿場西高校では、アメリカ・ビーバートン市からの訪問団の参観があるので、「オープニングの団体戦は、1試合(サッカー部対ダンス同好会) を行った後、オーストラリア留学生チーム対本校生徒の英語による団体戦を計画しています」とのこと。

10年も続けられるというのは、独自の教育文化として一つの歴史を築いたことにもなります。

c0191992_62844.gif10年についての見解:吉本隆明・糸井重里/ジャッジにはいわゆる詩人には遠慮してもらっている理由も書いている


さらに、神奈川県の公文国際学園中・高の先生から6月21日に神奈川高文連・文芸専門部で高校生大会を行うとの報告をいただきました。


[報告の内容]

今年も高校生「詩のボクシング」神奈川大会を開催いたします。
今年は早くも第9回目を迎えます。
第1回目の大会には楠先生にもお越しいただきましたが、あれからもう8年も過ぎたことになります。
最初は個人戦だけでスタートしましたが、ここ数年は団体戦も併催し、昨年などはかなりハイレベルな大会になりました。

今年は、来たる6月21日(日)の午後1時より公文国際学園ホールにて開催する予定です。
神奈川高文連の文芸専門部は「詩のボクシング」の伝統を守り続けていきたいと思っています。
来年は10周年記念で何か新しいことを仕掛けられたら…とも思っていますが、まずは9年目の大会を成功させたいと思っています。

先生のお膝元の神奈川でも「詩のボクシング」は高校生の間で連綿と先輩から後輩へ受け継がれていることをご報告しておきます。


「詩のボクシング」を理解して続けているとの報告、嬉しい限りです。引き続き「詩のボクシング」を楽しんで発展させていただければと思います。
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by poetryboxing | 2015-06-19 08:30 | 「詩のボクシング」関係

次年度のイベントに向けて



次年度予定されているイベントで「詩のボクシング」について紹介するので、「詩のボクシング」の特徴を以下にまとめておきます。また、そのイベントでは新たな表現の動きについても紹介します。その動きの参考までに過去のブログを挙げておきます。

c0191992_62844.gif詩について・2009.3.22

1997年に始めた「詩のボクシング」の特徴的な要素は口述性、パフォーマンス性、競技性。「詩のボクシング」の場で発表される作品は、声の表情や身体を使った表現、身体との関係性を表す声のリズムと時に比喩や韻を通して強く聞き手に働きかけるもの。あえてテキストとして見た場合、韻文だけではなく散文もある。

ただし、紙の上で表現されるテキストとは違い、自分の声やことばを目の前にいる観客に向かって届くかどうかを確かめるように投げかける。そしてそれらの声とことばを観客は真剣に受け止め、その結果として聞き手の表情のみならずジャッジ判定によって生の反応が得られるのである。それらの反応の根底に横たわっているのは、声としてのことばの作品を味わうだけではなく、「詩のボクシング」の場に表現としてのこれまでにない新たな何ものかを求める思いである。

その場では、紙メディアで読者を失ってきたテキストとしての詩表現の転用は通用しない。なぜなら、その場には眼前に厳しい他者である聞き手がおり、空間と時間の流れがあり、つまるところ紙の上に留まった表現は求められていないからである。

「詩のボクシング」は、既存の文学に口述性、観客との直接的相互作用、音楽との近さ、公共的な語りの場との近さといった文学本来の使命ともいえる一部を取り戻した形態である。

また、「詩のボクシング」は、文学に本来の興奮を取り戻す可能性のある形態である。ある意味、J-POPコンサートやサッカーの試合のようなイベントになるのである。これまで繰り返し言ってきたように、「詩のボクシング」は、声と言葉の格闘技、声と言葉のスポーツの場である。
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by poetryboxing | 2015-06-09 10:00 | 「詩のボクシング」関係

9月12日の岐阜大会に向けて



9月12日(土)の「詩のボクシング」岐阜大会に向けて当大会の主催者と連絡を取りながら大会の準備を進めています。

c0191992_62844.gifバロー文化ホール・「詩のボクシング」岐阜大会・出場者募集!

「詩のボクシング」は、声の表現にポエジーを見出す場です。

岐阜大会では、全国から出場者を募集しています。「詩のボクシング」は、声の場です。応募される皆さんには、こんな声の表現があるよ、この声の表現でどうだ、といったこれまでにない表現を感じさせていただければと思います。

ところで、日米ポエトリー交流プロジェクトでニューヨークの指導詩人たちと話した際に、彼らは、詩が読まれなくなった、詩を身近に感じられなくなっていると現在の詩状況に対して批判をしていました。そこで新たな可能性を求めてPoetry Slamを導入して子供たちの指導をしているとのことでした。

実は、わたしがドイツに留学していた時からの友人、フランツ・バルテンベリガー(ミュンヘン大学教授)がドイツ日本研究所の所長になって日本に来ており、一緒に何かをやろうということになり、わたしが提案して「日本のPoetry BoxingとドイツのPoetry Slamの比較」というテーマでゲーテインスティテュートで行おうということになりました。

ドイツ国内各地でPoetry Slamは行われており、国内及び国際大会も行われています。ドイツ語圏でいえば、オーストリアでもスイスでも同様のことが行われています。

フランツの住んでいるドイツのミュンヘン、そしてオーストリアのウィーン、スイスのバーゼルでのPoetry Slamを一度観に行ってみようと考えています。

それぞれの国で新たな表現の場を模索しているのだと改めて感じています。

日本のSlamについては、以前書いた下記のブログをご覧ください。

c0191992_62844.gif「詩のボクシング」を始めた頃の日本のSlam状況
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by poetryboxing | 2015-05-31 11:00 | 「詩のボクシング」関係

代表退院後、5月23日にアメリカンセンターでワークショップ


5月23日(土)にアメリカンセンターで日本側チームへのワークショップを行いました。6月13日(土)に六本木ヒルズのYouTubeスタジオで行われる日米ポエトリー交流プロジェクトの本番に向けてのワークショップでした。本番では、オブザーバーとして、キャロライン・ケネディ駐日アメリカ合衆国大使、舛添要一東京都知事、ビル・デブラシオニューヨーク市長、ドナルド・キーン博士他が参加します。

指導する中で感じていたのは、これまで「詩のボクシング」で経験したことのまとめのような内容でした。

感じていたことを要約すると以下になります。


1997年に始めた「詩のボクシング」の特徴的な要素は口述性、パフォーマンス性、競技性。「詩のボクシング」の場で発表される作品は、声の表情や身体を使った表現、身体との関係性を表す声のリズムと時に比喩や韻を通して強く聞き手に働きかけるもの。テキストとして見た場合、韻文だけではなく散文もある。

紙の上で表現されるものとは違い、自分の声やことばを目の前にいる観客に向かって届くかどうかを確かめるように投げかける。それらの声とことばを観客は真剣に受け止め、その結果として聞き手の表情のみならずジャッジ判定によって生の反応が得られる。それらの反応の根底に横たわっているのは、声としてのことばの作品を味わうだけではなく「詩のボクシング」の場に表現としての新たな姿と新たな形態を求める思いである。

この場では、紙メディアで読者を失ってきた詩表現の単なる転用は通用しない。なぜなら、その場には厳しい他者である聞き手がいるということ、さらにそこではこれまでのいわゆる詩のようなものを求めてはいないからである。

「詩のボクシング」は、既存の文学に口述性、観客との直接的相互作用、音楽との近さ、公共的な語りの場との近さといった文学本来の使命ともいえる一部を取り戻した形態である。

また、「詩のボクシング」は、文学に本来の興奮を取り戻す可能性のある形態である。ある意味、J-POPコンサートやサッカーの試合のようなイベントになるのである。これまで繰り返し言ってきたように、「詩のボクシング」は、声と言葉の格闘技、声と言葉のスポーツの場である。

[近況報告]退院しました。体重が11kg減りました!f0287498_10473724.jpg


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[ワークショップの感想]

先生がずっと立ちっ放しだったので、大丈夫かなと心配しましたが、さすが、「詩のボクシング」のことになると熱いですね。納得しながらお話をうかがっていました。

最後の盛り上がりもとてもよかったですね。チーム日本になってきたなとおもいました。
この調子ならアメリカに勝てると思います。
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by poetryboxing | 2015-05-27 11:00 | 「詩のボクシング」関係

近況報告です!


近況報告です。

4月18日に日米ポエトリー交流プロジェクトのイベントがアメリカンセンターで行われました。

東京とニューヨークをネットで結んでライブでワークショップを行いました。
日本側の子供たちの詩はすべて英訳され、米側の子供たちの詩はすべて日本語訳されています。そうでなければ言葉による国際文化交流は難しいでしょう。

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日本側からは、3人よる団体表現と即興朗読を披露しました。団体朗読も即興朗読もニューヨーク側の子供たちはやったことがないので驚き、感動したそうです。

5月に本番前のワークショップを行い、6月にいよいよ日米の自作朗読バトルが行われます。

ところで、わたしはこのワークショップに参加できませんでした。
理由は、1997年に「詩のボクシング」を始めたときから患っていた持病が、いよいよ悪化し手術のために4月に入って入院したからです。6時間に及ぶ手術でしたが、無事に終わりました。

昨日、キャロライン・ケネディ駐日米大使からお見舞いをいただきました。

キャロラインさんが大好きだという米黒人詩人のラングストン・ヒュージ詩集です。
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メッセージもありました。
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日米文化交流に参加している子供たちとスタッフのサイン入りカードです。

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キャロラインさんの気遣いと優しさに感謝しています。

新宿の街が一望できる病室です。
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by poetryboxing | 2015-04-22 11:00 | 「詩のボクシング」関係