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10月24日に開催される選抜式「詩のボクシング」全国大会2015の出場者を発表して行きます。 第1弾として「詩のボクシング」ファンがもう一度聞きたい選手として挙げてくれている二人、土屋智行選手と吉岡詩歩選手が「詩のボクシング」のリングに7年振りと6年振りに戻ってきます。全国大会のリングでどのような自作朗読をしてくれるのか、楽しみです。 選抜式・全国大会出場者は、1999年に「詩のボクシング」トーナメントを始めてから参加していただいた全ての朗読ボクサー約1万6000人の中から選ばれています。二人のように7年振り、6年振りに自作朗読する声が聞けるというのは、その歳月の流れがあるからこそ味わえる声があることを教えてもくれるでしょう。ご期待下さい。 土屋智行 (2008年直接応募型[第4回]東京大会代表・2008年第8回全国大会準チャンピオン) 吉川詩歩 (2009年第5回神奈川大会代表・2009年第9回全国大会準チャンピオン) ※過去の大会データから 直接応募型[第4回]東京大会チャンピオン・土屋智行 [東京大会を終えての感想] 「あなたのことばは詩ではない」と言われる場はよくあるが、「詩のボクシング」は、「声とことばの全てが詩」とされる唯一の場だ。 背格好や体の動きでさえも、詩だ。 これが意味することは、とてもおおきい。 かつて表現というものは、「ある限られた領域」だけを観ればよいと思われていた。 音楽であれば音、絵画であればキャンバス、詩であれば紙上の文字。 だが今は多くの人が、必ずしも「その領域だけ」に表現がとどまっているわけではないことに気付いている。 演奏者の表情、展示される空間、本の装丁。 そのような要素によって、表現はよりはっきりしたものとなり、またそれらを総合的に観たときに、表現する人そのものの姿が浮かびあがってくる。 このことに同意してくれる人は、きっとたくさんいるはずだ。 では、人そのものを表現にするとどうなるのか。 体ひとつで表現をすると、その場はどのようなものとなるのか。 「詩のボクシング」では、人そのものが表現になっている。 選手の体が、観客の意識に直接切り込んでくる。表現としては原初的で、本質的だと思う。 原初的ではあるが、だからこそ新しい表現が常に生まれるのだと思う。 本質的な部分を問われるが、そこにこそ楽しみが生まれるのだと思う。 「詩のボクシング」では、真っ新なリングの上で、たったの3分間。 だがどの大会でも、まったく新しい3分間が必ず生まれるし、今までの大会にはない場が、もう二度と集まることのないであろう16人によってかたちづくられる。 その新しい3分間が生まれる現場に立ち会えること、そして今までにない場をかたちづくる16人の一人としてリングに立てることが、今からほんとうに楽しみ だ。 第5回神奈川大会チャンピオン・吉川詩歩 「神奈川大会を終えての感想」 多分たくさんつかえていたと思います。それでも心を込めたら、誰かが耳を傾けてくれている感じがして安心しました。対戦相手の方々の朗読を聞きながら、一体どんな部屋でどんな顔で、詩を書いたのだろうと考えました。そんな想像起こさせる程魅力的な大会でした。 話は変わりますが、人が必ず死ぬことって不思議ですね。マイケル・ジャクソンも私も死ぬのだということを、つくづく不思議に思います。しかし、マイケルは兎も角として、私のようなちっぽけな人の「生きている」ことが「生きていた」ことに変わる時、「いま生きている私」は何処へ行くのでしょう。恐らくそう長くないうちに、忘れ去られてしまうのだと思います。 そう考えると不安で何か書きたくなります。私がいま生きていることを文字にして確かめたくなります。結局そういうものしか書けていないので、みなさんの気に入るかはわかりません。でも、一緒に同じ風景を眺めるときのように聞いてもらえたら、やはり嬉しいのだと思います。 #
by poetryboxing
| 2015-06-11 07:30
| 選抜式・全国大会2015
次年度予定されているイベントで「詩のボクシング」について紹介するので、「詩のボクシング」の特徴を以下にまとめておきます。また、そのイベントでは新たな表現の動きについても紹介します。その動きの参考までに過去のブログを挙げておきます。 ⇒詩について・2009.3.22 1997年に始めた「詩のボクシング」の特徴的な要素は口述性、パフォーマンス性、競技性。「詩のボクシング」の場で発表される作品は、声の表情や身体を使った表現、身体との関係性を表す声のリズムと時に比喩や韻を通して強く聞き手に働きかけるもの。あえてテキストとして見た場合、韻文だけではなく散文もある。 ただし、紙の上で表現されるテキストとは違い、自分の声やことばを目の前にいる観客に向かって届くかどうかを確かめるように投げかける。そしてそれらの声とことばを観客は真剣に受け止め、その結果として聞き手の表情のみならずジャッジ判定によって生の反応が得られるのである。それらの反応の根底に横たわっているのは、声としてのことばの作品を味わうだけではなく、「詩のボクシング」の場に表現としてのこれまでにない新たな何ものかを求める思いである。 その場では、紙メディアで読者を失ってきたテキストとしての詩表現の転用は通用しない。なぜなら、その場には眼前に厳しい他者である聞き手がおり、空間と時間の流れがあり、つまるところ紙の上に留まった表現は求められていないからである。 「詩のボクシング」は、既存の文学に口述性、観客との直接的相互作用、音楽との近さ、公共的な語りの場との近さといった文学本来の使命ともいえる一部を取り戻した形態である。 また、「詩のボクシング」は、文学に本来の興奮を取り戻す可能性のある形態である。ある意味、J-POPコンサートやサッカーの試合のようなイベントになるのである。これまで繰り返し言ってきたように、「詩のボクシング」は、声と言葉の格闘技、声と言葉のスポーツの場である。 #
by poetryboxing
| 2015-06-09 10:00
| 「詩のボクシング」関係
9月12日(土)の「詩のボクシング」岐阜大会に向けて当大会の主催者と連絡を取りながら大会の準備を進めています。 ⇒バロー文化ホール・「詩のボクシング」岐阜大会・出場者募集! 「詩のボクシング」は、声の表現にポエジーを見出す場です。 岐阜大会では、全国から出場者を募集しています。「詩のボクシング」は、声の場です。応募される皆さんには、こんな声の表現があるよ、この声の表現でどうだ、といったこれまでにない表現を感じさせていただければと思います。 ところで、日米ポエトリー交流プロジェクトでニューヨークの指導詩人たちと話した際に、彼らは、詩が読まれなくなった、詩を身近に感じられなくなっていると現在の詩状況に対して批判をしていました。そこで新たな可能性を求めてPoetry Slamを導入して子供たちの指導をしているとのことでした。 実は、わたしがドイツに留学していた時からの友人、フランツ・バルテンベリガー(ミュンヘン大学教授)がドイツ日本研究所の所長になって日本に来ており、一緒に何かをやろうということになり、わたしが提案して「日本のPoetry BoxingとドイツのPoetry Slamの比較」というテーマでゲーテインスティテュートで行おうということになりました。 ドイツ国内各地でPoetry Slamは行われており、国内及び国際大会も行われています。ドイツ語圏でいえば、オーストリアでもスイスでも同様のことが行われています。 フランツの住んでいるドイツのミュンヘン、そしてオーストリアのウィーン、スイスのバーゼルでのPoetry Slamを一度観に行ってみようと考えています。 それぞれの国で新たな表現の場を模索しているのだと改めて感じています。 日本のSlamについては、以前書いた下記のブログをご覧ください。 ⇒「詩のボクシング」を始めた頃の日本のSlam状況 #
by poetryboxing
| 2015-05-31 11:00
| 「詩のボクシング」関係
5月23日(土)にアメリカンセンターで日本側チームへのワークショップを行いました。6月13日(土)に六本木ヒルズのYouTubeスタジオで行われる日米ポエトリー交流プロジェクトの本番に向けてのワークショップでした。本番では、オブザーバーとして、キャロライン・ケネディ駐日アメリカ合衆国大使、舛添要一東京都知事、ビル・デブラシオニューヨーク市長、ドナルド・キーン博士他が参加します。 指導する中で感じていたのは、これまで「詩のボクシング」で経験したことのまとめのような内容でした。 感じていたことを要約すると以下になります。 1997年に始めた「詩のボクシング」の特徴的な要素は口述性、パフォーマンス性、競技性。「詩のボクシング」の場で発表される作品は、声の表情や身体を使った表現、身体との関係性を表す声のリズムと時に比喩や韻を通して強く聞き手に働きかけるもの。テキストとして見た場合、韻文だけではなく散文もある。 紙の上で表現されるものとは違い、自分の声やことばを目の前にいる観客に向かって届くかどうかを確かめるように投げかける。それらの声とことばを観客は真剣に受け止め、その結果として聞き手の表情のみならずジャッジ判定によって生の反応が得られる。それらの反応の根底に横たわっているのは、声としてのことばの作品を味わうだけではなく「詩のボクシング」の場に表現としての新たな姿と新たな形態を求める思いである。 この場では、紙メディアで読者を失ってきた詩表現の単なる転用は通用しない。なぜなら、その場には厳しい他者である聞き手がいるということ、さらにそこではこれまでのいわゆる詩のようなものを求めてはいないからである。 「詩のボクシング」は、既存の文学に口述性、観客との直接的相互作用、音楽との近さ、公共的な語りの場との近さといった文学本来の使命ともいえる一部を取り戻した形態である。 また、「詩のボクシング」は、文学に本来の興奮を取り戻す可能性のある形態である。ある意味、J-POPコンサートやサッカーの試合のようなイベントになるのである。これまで繰り返し言ってきたように、「詩のボクシング」は、声と言葉の格闘技、声と言葉のスポーツの場である。 [近況報告]退院しました。体重が11kg減りました! [ワークショップの感想] 先生がずっと立ちっ放しだったので、大丈夫かなと心配しましたが、さすが、「詩のボクシング」のことになると熱いですね。納得しながらお話をうかがっていました。 最後の盛り上がりもとてもよかったですね。チーム日本になってきたなとおもいました。 この調子ならアメリカに勝てると思います。 #
by poetryboxing
| 2015-05-27 11:00
| 「詩のボクシング」関係
9月12日(土)に行われる「詩のボクシング」岐阜大会についてお知らせします。 この岐阜大会については、バロー文化ホールのフロントページに掲載されています。 ⇒バロー文化ホール・「詩のボクシング」岐阜大会・出場者募集! この岐阜大会から選抜式・全国大会に出場できる選手を選びます。 全国募集にしていますので、応募状況を鑑みチャンピオンと準チャンピオンの2名を選ぶことになりました。 ふるってご応募下さい。 #
by poetryboxing
| 2015-05-25 13:00
| 選抜式・全国大会2015
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